新型コロナウイルスの脅威はまだまだ続いています。不安と恐れの中にいる人々、苦しみ悲しみの中にいる人々がいると思います。また、大雨による被害に苦しんでいる人たちもいます。癒しと平安、慰め、そして皆様の安全と健康を祈ります。
礼拝のご案内です。
2021年8月15日
10時30分~
聖書個所:コロサイの信徒への手紙3:18-4:1
説教題:「不義を行うのではなく」
この聖書個所では、家族に対する訓告が記されています。夫婦や親子、主人と奴隷の関係に及ぶまで、一つの家族の中で互いにどう振る舞うべきかが書かれています。
この家族に関する訓告を用いる際に、私たちは注意が必要です。ここには書かれた当時の社会状況が当然ながら反映されているので、今の社会状況・観念とは異なるという事を考えつつ読まなければなりません。
奴隷という制度自体、今の私たちの暮らしの中にはありません。それに加え、夫婦関係や親子関係も今は、当時のような専ら妻が夫に仕え、子が親に従うというものではありません。
ですから、この個所を用いて妻は夫に従うであるとか、子が親に従うべきだというお話にはなりません。そんな単純で表面的なお話ではなく、もっと深く私たちに対して語り掛ける言葉が記されている箇所です。
残念ながら、この個所を用いて家族を自分に従わせようとする人たちがいることも事実です。教会の中で、そのように用いられてしまっているケースもあります。けれども、そのような用い方は、この個所が語り掛けてくるメッセージを損なうものです。
この個所において、不義を行う者は、分け隔てなくその不義の報いを受けると記されています。この個所に記されていることは、家族に対して不義を行うのではなく、家族を愛するということ、大切にするということです。もし、自分のために家族に不義を働くのであれば、もし家族に不利益をもたらそうとするのであれば、それは良くないことなのです。
相手を大切に扱うということ、それは家族の中の誰かだけが担う事ではありません。妻だけが夫に仕えるわけでもなければ、子だけが親に従うというわけでもありません。夫や親に対しても、同様に妻や子を大切にするということが記されているのです。
加えて(これは奴隷に対して語られていることではありますが)、「うわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」と記されています。これは家族関係の外側に目を向けるのではなく、家族関係の内側に目を向けるという事です。
外面的な関係性において、家族に対する義務があるという事ではなく、もっと深いつながりにおいて家族同士が互いに大切にしあう関係性が述べられているのです。
私たちは、家族というものをどうしても血のつながりで考えてしまいます。「家族」を結び付ける要素として、血縁関係を大事にしてしまうのです。しかし、聖書の中で語られている家族関係は、血縁関係を越える家族です。「血がつながっているから家族である。「家族だから」相手に従う。」という関係ではありません。
この個所で書かれているように、互いに愛し合う関係、互いに大切にしあう関係でもって家族となるのです。
家族という形があって、だから従わなければならないということではなく、家族として愛し合う関係、大切にしあう関係が、私たちにとっての家族を作り上げていくのです。もし、「家族」だから従わなければならないというのであれば、この個所に書かれていることは、なかなか実現できないでしょう。夫や妻、親や子ども、そのどちらかが、誰かが相手を大切に考えることができなければ、ここに書かれているような「家族」を形成することは難しいのです。それは家族に対して「不義」を行っているのであり、当然その報いを受けるのです。
とはいえ私たちは、完ぺきには出来ません。家族を大切にしようと思っていたとしても上手くいかないときもあります。愛する思いはあっても、相手を傷つけてしまうこともあります。
けれども、家族を大切にしようという思いを失ってはならないのです。どうしてもうまくいかないときがあるからこそ、なおさらに私たちは互いに大切にし、愛し合うという事を常に考えていかなければなりません。
そして、ここに描かれている家族関係は、私たちの生活における家族だけにとどまりません。神を信じ、ここに集っている私たちも、神によって結び合わされた一つの家族です。主イエス・キリストに仕える一人ひとりとして、互いに仕え合う家族です。
8月15日は日本にとって敗戦記念日であり、私たちにとって「戦争」という出来事について考える日でもあります。誰かを大切にできないことは、争いへと向かう一つの理由であると思います。愛を失うことが私たちを争いへと向かわせます。
私たちは互いに愛し合う家族として、平和を目指していきましょう。争いあう関係ではなく、愛し合う関係を、この家族から、教会からはじめていきましょう。